2011年5月14日土曜日

県内の歯科医ら 南三陸で支援 | <歯医者 世田谷>

県保険医協会(松山家久会長)所属の歯科医ら5人が12日夜、東日本大震災で大きな津波被害を受けた宮城県南三陸町の被災地で歯科診療などを実施したボランティア活動の報告会を開いた。
平均年齢50代後半の「熟年チーム」は、機材や支援物資を満載したワゴン車で往復2千キロ以上を移動。
歯を削る道具やポータブルレントゲンを駆使して治療にあたった。メンバーたちは「大きな助けにはならなかったかも知れないが、多くのことを学ぶことができた」と振り返った。

有志で結成した医療支援チームは、同会副会長で歯科医師の賀来進さん(62)、同理事で歯科医師の馬場秀樹さん(61)、同理事で心療内科医の竹内小代美さん(65)と、歯科衛生士ら3人の計6人。
4月28日夕にフェリーで大分を出発。
神戸到着後、陸路で仙台に向かい、4月30、5月1の両日、宿泊先の仙台のホテルから2時間かけて通う形で、南三陸町の歌津中学校避難所の教室を借り、臨時診療室を開いた。


南三陸町は千人を超す死者・行方不明者を出し、街は壊滅。
今回の震災で最も被害の激しかった地域の一つだ。
メンバーたちはワゴン車に治療用の歯を削るエアタービンやポータブルレントゲンなどの器具や薬品を積み込んだ。
被災地に迷惑をかけない「自己完結型」の支援のため、発電機や大量のペットボトル入りの水、自分たちの食糧も持ち込んだ。


患者たちに座ってもらったのは移動が容易な理髪用のイスで、うがいは紙コップのミネラルウオーター。
教室にあった生徒用の机やイスの上に薬品や機材を並べ、2日間で被災者16人の虫歯を削ったり、歯の神経を抜いたりする治療に全力を注いだ。


歯科治療には専用機材が不可欠で、被災地での本格的な治療は難しいのが現状だ。
やってきたメンバーたちに感謝し、「これまでにも避難所に来た歯医者さんはいたけど、話を聞いてもらっただけだった」と話す患者もいたという。


この日の報告会では、日頃から歯科の訪問診療を実践している馬場さんが「治療が必要な人を探すのがまず大変だった。
情報収集も支援の大事な仕事の一つだった」と指摘。
実際の現場では医師の竹内さんがまず被災者が集まっている体育館でカウンセリングを施しながら歯に不安がある人を選び、馬場さんや賀来さんらが待機する歯科診療室に連れて行ったという。


今回の活動の発案者の賀来さんは「わずか2日間の活動だったが喜んでもらえたし、我々も貴重な経験ができた。
被災した歯科医への診療再開に向けた支援や、1県1台の移動歯科治療車の導入を訴えていきたい」と話した。

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